約 814,045 件
https://w.atwiki.jp/happy_news1/pages/112.html
#weblog 【ソウル3日】朝鮮中央通信によると、北朝鮮外務省は3日、 声明を発表し、米国による核戦争、制裁、圧力の脅威が限度 を超えたとして、核実験を実施せざるを得なくなったと宣言 した。 声明は、核実験は確実に安全が保証された状況下で行われる としたが、実施時期は明らかにしていない。 7月の北朝鮮によるミサイル発射後、同国が核実験の準備 を進めているのではないかとの観測が強まっていた。ただ声 明は一方で、 ①北朝鮮側が最初に核兵器を使すことは決してない ②朝鮮半島の非核化への努力を続ける―などとも指摘した。 この声明発表を受け、日本は直ちに北朝鮮を非難。麻生太 郎外相は「平和への脅威であり、断じて許すことはできない」 と語った。同外相はまた、北朝鮮は過去に、表明したことを 後に実行したことがあるとし、核実験をやらないと決めてか かるのは間違いだと述べた。 北朝鮮問題専門家のピーター・ベック氏も、核実験を実施 するとの北朝鮮の表明は深刻に受け止めるべきだと語った。 〔AFP=時事〕 ベールに覆われているような国に感じてしまうから、 何を言っても、うそなのか本当なのかわからない。 わからないけど、でも、怖いことを平気で言ってくるし。 常識外と思われることも平気で言うし・・・ ホント怖い。。。
https://w.atwiki.jp/wiki11_library/pages/560.html
書籍ライブラリ 日本の独立とアジアの独立 現在のアジア メルマガコピペ 中国に植民地支配されたウイグル人の土地に、核実験の死の灰が降り注ぐ。 http //archive.mag2.com/0000000699/20071118060000000.html ■JapanOntheGlobe(523)■国際派日本人養成講座■■■■ TheGlobeNow: シルクロードに降り注ぐ「死の灰」 中国に植民地支配されたウイグル人の土地に、核実験の死の灰が降り注ぐ。 ■転送歓迎■H19.11.18■35,690Copies■2,687,862Views■ 1.『シルクロードの死神』 ある日本人青年がシルクロードを一人で旅をしていた時のこと、こんな体験をした。 ローカルバスに乗って南新彊をめざしていたところ、突然昼間なのにピカッと光るものを感じた。その後、バスの中を見渡すと同乗者たちが皆、鼻血を流している。その光景は滑稽にさえ思えた。そころが、鼻に手を当てると自分も同じように血が出ているのに気がついた。バスの中は騒然となった。あの時、私は被爆したのかも知れない。 新彊ウイグル自治区の南部に広がるタクラマカン砂漠には、中国の核実験基地がある。その風下に位置する西側の村々では、直接、放射性物質が降り注ぐ。 大脳未発達の赤ちゃんが数多く生まれ、奇病が流行し、ガンの発生率は中国の他の地域に比べて極めて高い。その9割が血液のガン、白血病である。中国政府の圧力のために、こうした事実は公にされず、貧しい患者たちは薬も買えずに死を待つ。 こうした状況を報道したドキュメンタリー"DeathontheSilkRoad"『シルクロードの死神』が1998年7、8月、イギリスのテレビ局で放映され、衝撃を与えた。この番組は、その後、フランス、ドイツ、オランダなど欧州諸国をはじめ、世界83カ国で放送され、翌年、優れた報道映像作品に送られるローリー・ペック賞を受賞した。 弊誌で調べた範囲では、この83もの国々の中に、なぜか我が国は含まれていないようだ。 2.ウイグル人医師の苦難 このドキュメンタリー番組の制作に協力したウイグル人医師アニワル・トフティのこれまでの人生が、中国に植民地支配されているウイグル人たちの苦難をよく物語っている。 アニワルは難度の高い手術を行い、国際学会にも幾たびか出席するような優れた外科医だった。しかし中国内の民族差別に耐えかねて、同じテュルク系民族の国で働きたいと、語学留学を理由にトルコに渡った。そこで英国のテレビ記者に誘われて、ドキュメンタリー制作に協力したのだった。 中国の核実験による後遺症を世界に告発した「罪」で、「新彊分裂主義分子」のレッテルを貼られたお尋ね者となり、「中国に入境すれば禁固20年は免れない」という。家庭は崩壊し、中国に残してきた二人の子供も出国は許されず、祖父母に養育して貰っている。 今はイギリスで、大勢のウイグル人亡命者とともに暮らす。ここでは中国の医師免許は認められないので、外科医として働くこともできない。慣れない生活と苦しい暮らし向きにもかかわらず、彼は「決して後悔していない」と語る。 3.「豚は彼らの先祖だから喰わないんだ」 アニワルは1963年シルクロードの東端コムルに生まれ、鉄道局の学校に勤務する父の転属で新彊の中北部に位置するウルムチに引っ越し、そこで育った。当時、鉄道局に雇われているウイグル人はほとんどおらず、同局の運営する幼稚園や小中学校で、アニワルは漢人に囲まれて育った。当時は、子供どうしで一緒に遊んでいた。 だが、子供心に傷ついたのは、漢人の大人から蔑まれることだった。小学校2年の時、同級生に家に遊びに行った。食卓にはご馳走が並んでいて、一緒に食べようと誘われたとき、「豚肉以外のものなら」と言うと、同級生は不思議そうに「どうして豚肉を食べないの?」と聞いた。 「イスラム教の教えでね」と答えようとするアニワルを遮って、その同級生の父が言った。「豚は彼らの先祖だから喰わないんだ。」 漢人は自らの先祖を龍だとする。動物を先祖と考えるのは、漢人の独特の民族伝統だろうが、その思考を他民族にも適用してウイグル人の先祖を豚とする。いかにも漢人らしい差別である。 アニワルは心底傷ついたが、それをバネに「漢人に負けるものか。僕は劣等民族じゃない」と、猛勉強するようになった。 4.1949年、中国共産党の軍隊が占領 ウイグル民族が漢人の支配に屈したのは、わずか60年前、第2次大戦後のことだった。現在、独立運動の指導者であるラビィア・カーデル女史は、当時のことをこう回想している。 当時、アルタイ(JOG注 新彊北部、モンゴル国境近くの町)ではロシア人は多かったのですが、漢族を見かけることは極々稀で、たまに漢族がいたら「ヒタイ(中国人)だ」と噂になったものです。山岳地方に住むカザフ族と、麓に住むウイグル族との関係は良好で、互いに密な往来をしていました。 アルタイのウイグルの家々は豊かで、私の家など他家に比べたら、豊かとは言えない部類でした。庭には犬を飼い、美しい木々や香りのよい花々が何種類も植えられ、裏の山からは鳥が飛んできて囀(さえず)っていました。しかし、そんなアルタイの風景が一変したのは、この地が中華人民共和国の統治下に入ったときからです。 1949年、中国共産党の軍隊が「東トルキスタン」を占領し、ウイグル族、カザフ族を問わず、お金持ちの家の人々を逮捕しました。逮捕者は着の身着のまま大きなトラックに乗せられ、タリムの砂漠にある労働改造農場や、監獄へ送られていきました。[1,p18] カーデル女史の家も、1962年の再調査で「資本家」のレッテルを貼られ、家も土地も店もすべて没収された。父親は山に逃亡し、残された母とカーデル女史と幼い弟妹たちは、トラックでタクラマカン砂漠に連れて行かれ、そこで置き去りにされたという。 こうして、ウイグル人は独立を失い、漢人に植民地支配されることになった。 5.職場での民族差別の壁 1991年にアニワルは鉄道局付属病院の医師となったが、そこでも民族差別の壁に何度も突き当たった。 ある日、外科のオフィスに一人の看護婦がやってきて、治療に関する質問をした。部屋にいた7人の漢人の医者が答えられないので、アニワルが教えてやると、その看護婦は「あら、『吃羊脳子的』(いつも羊肉ばかり食べている者の脳)にしては、このひと意外に賢いじゃない」と言った。アニワルは「豚の脳味噌と羊の脳味噌はどっちが賢いと思う」と怒った。 勤務先の病院では、漢人の医師には2LDKの部屋を一律に割り当てていたが、アニワルは夫婦と子供一人で1LDKの部屋しか貰えず、毎年同僚と同じ2LDKの部屋を要望したが、「住宅割当会議の時に不在だった」などの理由で拒否され続けた。「もうこんな不平等な国には居たくない」との思いが募った。 アニワルの父は、中国では共産党員でなければ、安定した生活も出世も富も望めないと知っていたので、息子に入党を勧めた。入党の申請をすると「次の党支部拡大会議に招聘するから、その時、入党の決意を語るように」と命ぜられた。しかし、当日、緊急の手術が入って、会議に行けなかった。 党委員がやってきて「党が大切なのか、おまえ自身の用事が大切なのか。次回は絶対に参加するように」と厳しい口調で言った。しかし、その次回も重態患者の緊急手術が入った。会議の事が頭をかすめたが、アニワルは医師として人の命を救う方を優先した。党委員は「入党申請書」を突き返してきた。 6.あなたがた漢人は「偉大なる」民族だ ある時、ウルムチでバス爆破事故が発生し、多数の死傷者が出た。東トルキスタンの独立を目指す組織が犯行声明を出した。百人を超える医師と看護婦が現場で負傷者の手当に当たった。アニワルもその一人だった。 その時、ある漢人の医師が腹立たしげに叫んだ。「はやくウイグル人は我々と同化すべきだ。そうすればこのような事件は起こらない!」 すべての人の視線がその場にいたただ一人のウイグル人、アニワルに注がれた。アニワルは言い返した。 確かに、、、あなたがた漢人は「偉大なる」民族だ。「日本鬼子」(漢族の日本人への蔑称)が中国を侵略したとき、あなた達は8年の抗戦を経て勝利した。我々ウイグル人もいつの日か、それに倣うだろう。 その場の空気が一瞬にして凍りついた。 96年にアニワルは主任医師(管理職)になるための試験を受けた。理論、技術などすべての科目は合格したが、外国語だけは合格点に達しなかった。中国語もウイグル語も外国語とは認められず、もう一つの外国語で受験しなければならなかったからだ。そこで外国語習得のための留学を目指した。しかしそれは口実で、本音はウイグル人と同じテュルク系民族の国に渡り、医者を続ける道を探りたかったのだ。 そこでトルコに渡り、3ヶ月の語学研修を受けた。トルコ語は同じテュルク系の言葉なので、3ヶ月ほどで日常会話は支障なく話せるようになった。次に、中国では学べない外科知識を学ぼうと、医科大学院の受け入れ先を探し始めた。 7.核実験被害の潜入取材 そこに、ウイグル人の知人が「英国のテレビ局の記者がウイグル人医師を捜している」という話を持ち込んできた。英人記者に会ってみると「新彊に観光客を装って潜入取材し、核実験被害の実態をルポしたい。ガイド兼通訳と偽って、あなたも一緒に行ってくれないか」と懇願された。 アニワルは鉄道病院にいた時、鉄道局の健康調査データから、ウイグル人も新彊の地に長くいる漢人も、悪性腫瘍の発生率が他の地域に比べて35パーセントも高い、という分析をして、核実験被害に関する懸念を抱いていた。 アニワルは「協力しましょう」と答えたが、もし潜入取材中に見つかったら、と思うと、「逮捕」「投獄」「拷問」「禁固20年」などの言葉が頭の中をよぎり、体にガタガタと震えが来た。 98年7月に、アニワルを含む6人の取材チームは新彊に入った。チームの中でアニワルはツーリストガイドを装っていた。車を借りて交替で運転し、可能な限り裏道を走って、核実験基地のある「ロプノール」近辺の村々を回った。 8.「お母さん、もう死にたい」 農民たちは「基地では、漢人の住む方向に向かって、つまり西から東に風が吹く時は核実験をしない。西に吹いた時に行っていた」と憤る。 基地の西方面では、直接、放射能物質が降り注ぐ。ある村では、生まれてくる赤ちゃんの8割が口唇口蓋裂(上唇や上顎が割れている症状)だった。別の村では、内臓異常のため腹や喉など身体の一部が肥大化して瘤を持った者がたくさんいた。また先天性異常で大脳未発達のため、歩けず話せない障害児ばかり生まれてくる村もあった。 それでも村人たちは、貧困のために転居もできず、汚染された水を飲み、「死の灰」の降った土壌を耕して生きていかねばならない。 ドキュメンタリー『シルクロードの死神』には、奇病に冒された17歳のウイグル人少女が登場する。生まれた時には問題はなかったが、成長するにつれて骨が自然に折れて変形する間接異常を患っている。踵(かかと)の骨が飛び出て、その痛さに泣き続ける。「痛い。私の足を切って。お母さん、もう死にたい。」 「死を待つしかない子供たちに、親は『これは神様の定めた運命なのだ』と説明するしかない」とナレーションが入る。 一行は文献資料収集も行った。アニワルが大学や病院、図書館の資料を借り出し、英人記者たちが夜な夜な、ホテルでフィルム撮影を行う。収集した1966年からのデータで、核実験の開始と共にガンの発生率が年々上昇している事が分かった。 取材を終えると、アニワルは逮捕を恐れて、ウルムチに住む家族に電話すらせずに、トルコに戻った。放映された番組は大きな反響を呼んだ。 ようやく外科医の仕事を見つけ、これからは生活も安定すると思っていた矢先に、「中国とトルコが貿易関係の強化を図るので、政治亡命者は身の安全を考えた方がよい」とトルコ駐在の台湾人記者が警告してくれた。 せっかく見つけた外科医の仕事もなげうって、イギリス大使館に駆け込んだ。大使館員は、アニワルが『シルクロードの死神』の制作に協力したと知ると、即座にビザを発給してくれた。 9.「広島の経験を新彊で活かすことができれば」 今はイギリスで同様に政治亡命してきた大勢のウイグル人とともに狭い家で暮らすアニワルは、新彊での核実験被害について「医者としてやりきれない」と頭を抱えながら、こう語った。 中国では被曝者が団体を作ることも抗議デモをすることも許されないし、国家から治療費も出ない。中国政府は「核汚染はない」と公言し、被害状況を隠蔽しているので、海外の医療支援団体は調査にも入れない。医者は病状から「放射能の影響」としか考えられなくとも、カルテには原爆症とは記載できない。学者は大気や水質の汚染調査を行うことを認めて貰えないから、何が起きているのか告発することもできない。このように新彊では、原爆症患者が30年間放置されたままなのだ。 さらにアニワルは、日本人に向けて、こう語った。 被爆国日本の皆さんに、特に、この悲惨な新彊の現実を知って欲しい。核実験のたび、日本政府は公式に非難声明を出してくれた。それは新彊の民にとって、本当に頼もしかった。日本から智恵を頂き、広島の経験を新彊で活かすことができればといつも私は考えているけれども、共産党政権という厚い壁がある。[1,p141](文責:伊勢雅臣) リンク a.JOG(186)貧者の一燈、核兵器~中国軍拡小史 9回の対外戦争と数次の国内動乱を乗り越えて、核大国を目 指してきた中国の国家的執念。 http //www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog186.html b.JOG(123)チベット・ホロコースト50年(上)~アデの悲しみ 平穏な生活を送っていたチベット国民に、突如、中共軍が侵 略を始めた http //www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog123.html c.JOG(124)チベット・ホロコースト50年(下) ~ダライ・ラマ法王の祈り~ アデは27年間、収容所に入れられ、故郷の文化も自然も収 奪された http //www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog124.html 参考 (お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け) →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。 1.水谷尚子『中国を追われたウイグル人 -亡命者が語る政治 弾圧』★★★、文春新書、H19 http //www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166605992/japanontheg01-22%22
https://w.atwiki.jp/cttum/pages/47.html
「中国核実験の被害を知って」 ウイグル人医師が日本で訴え (1/2ページ) 2008.8.10 20 13 広島市で行われた原爆死没者慰霊式・平和祈念式に参列するため来日した中国・新疆ウイグル自治区出身の外科医で、世界ウイグル会議英国代表のアニワル・トフティ氏が都内で産経新聞と会見し、核実験で汚染された同自治区の実態を語るとともに、中国での五輪開催に抗議した。 中国は1964年以来、私たちの土地で46回にわたり核実験をしてきたが、この事実はまだまだ知られていない。区都ウルムチの病院の腫瘍(しゅよう)専門外科勤務だった私は、病床に占めるウイグル人の割合が極めて大きいことに気付いた。調査すると、ウイグル人の悪性腫瘍発生率は、中国の他の地域の漢人と比べ、35%も高かった。漢人でも、新疆ウイグル自治区に30年以上住んでいる人は、発生率がウイグル人と同程度に高かった。 英国のテレビ局のドキュメンタリー番組に協力し、取材で潜入した所では、放射能汚染の影響とみられる数々の悲惨な光景を目の当たりにした。 南新疆では、内臓異常で腹やのどなどが肥大化した人が大勢いる村があった。先天性異常の大脳未発達で、歩くことも話すこともできない障害児ばかりが生まれる村もあった。山で木を切って調べたところ、広島に投下された原爆の300倍もの放射性の反応が出たこともあった。 だが中国は核実験による放射能汚染や後遺症の存在を認めていない。海外の医療団体の調査立ち入りも認められず、すべてが隠蔽(いんぺい)されている。 初めて日本を訪れた理由は2つ。原爆の悲惨さを世界で一番よく理解している日本の方々に、核被害で苦しんでいるのが、日本人だけでないことを知ってほしかった。 もう一つは北京五輪の開催への一種の抗議だ。中国が初めて核実験をしたのは東京五輪の開会期間中。そして中国は核実験を繰り返し軍事力を世界に誇示しつつ、経済発展を遂げ、ついに五輪を開催できるまでになった。その影で実験のモルモットにされたウイグル人の生命、土地、資源が犠牲となってきた。 中国は北京五輪開催を機に、国際社会に人権改善を約束したが、まったく守られていない。五輪後も、中国のウイグル人への人権弾圧は続くだろう。 日本には毅然(きぜん)として中国に対峙(たいじ)してほしい。日本が弱腰になれば、中国は増長する。アジア太平洋地域で私が待ち望んでいるのは、力強い日本であって、強大で独裁的な中国ではない。 アニワル・トフティ 1963年、新疆ウイグル自治区東部のコルム生まれ。区都ウルムチなどで病院に勤務し、98年に同自治区での核実験の影響を告発した英国テレビ局のドキュメンタリー番組の取材に参加し、99年に英国に政治亡命。世界ウイグル会議英国全権代表を務める。 「中国核実験の被害を知って」 ウイグル人医師が日本で訴え (1/2ページ) - MSN産経ニュース http //sankei.jp.msn.com/world/china/080810/chn0808102017014-n1.htm
https://w.atwiki.jp/wiki15_app/pages/54.html
https://w.atwiki.jp/happy_news1/pages/124.html
#weblog 北朝鮮の核実験実施発表に対し、日本政府の初動の対応には 大きな瑕疵(かし)はなかったものの、一部では情報収集力不足 政府内の混乱や伝達の遅れも明らかになっている。 11日は「北朝鮮が2回目の核実験を行った」との情報をめぐり、 確認作業に追われるなど右往左往。 政府に核実験の第一報が入った後、久間章生防衛庁長官が衆院大阪 9区補選の応援のため東京を離れたことにも疑問の声が上がる。 「おいっ、どうなっているんだ」。 11日午前、国会内の防衛庁控室のテレビに「北朝鮮が2回目の 核実験を実施」とのテロップが流れると、担当局長が叫んだ。 同庁は対策本部会議を緊急招集、対応に万全を期すことを確認した。 直後に始まった参院予算委員会では、安倍晋三首相が 「報道は承知している。そういう兆候があったという情報には 接していない」と完全否定。しかし、麻生太郎外相は未確認と しながら「今日中に2度目の核実験を行うだろうという情報に 接している」と述べた。 インド、パキスタンが98年に核実験を実施した際、 いずれも初日に数回行った後で2日後にも再実験しており、 政府は北朝鮮も2回目をやると想定している。 しかし、国民の不安をあおるため、本来は「2回目がある というのは絶対に言ってはいけない情報」(政府筋)とされ ており、麻生答弁はその意味から異例。塩崎恭久官房長官は 記者会見で「あらゆる情報収集に努めているが、中身を言う ことはふさわしくない」と答えるしかなかった。 一方、久間氏は11日の参院予算委で「午前11時半に (羽田空港から)飛行機に乗った。11時40分に連絡が 入り、12時半に向こう(伊丹空港)に着いて、すぐ帰る ようにした」と説明。第一報は9日午前10時半、中国外 務省から北京の日本大使館に入り、同40分に政府専用機 内の首相に伝わっており、説明通りなら防衛庁長官に情報 が伝わったのはその約1時間後だったことになる。【佐藤千矢子】 大丈夫??? 大事なことよね? 伝達がこんなに遅れるなんて・・・。 新内閣に代わったばかりだから・・・なんて 言い訳は通じないしね・・・。 大丈夫かしら?
https://w.atwiki.jp/p051284s/pages/17.html
前日のニューヨーク市場は連日の最高値更新と11月7日の中間選挙に向けて力強い動きをみせるなか、その流れを引き継いだ17日の東京株式市場は寄付きは小幅高で始まりました。 しかしその後は、ロシアの中央銀行が潤沢なオイルマネーを背景に円を買っていることも手伝って、為替市場でやや円高傾向となっていると同時に、北朝鮮の2回目の核実験実施懸念もあり、次第に利食い優勢の流れとなりました。 大引けでは、11661.59円の81.17円安で引けました。 当ブログでは、地政学的な安全保障を考慮しながら投資姿勢を決定することをお勧めしておりますが、このように北朝鮮が連続で核実験を実施する懸念があるにもかかわらず現在に至るまで、体勢で売り込まれること無く推移しているのは、アメリカが現在のところ100%に近く軍事オプションをとらない(とれない)ためです。 今後2回目3回目の核実験の実施が懸念されますが、回が進むにつれて国連の対応によって株式市場への影響も考慮していかなければなりません。 一方、テクニカル面では、エクステンションで短期の第三波動が終了、中期上昇第二波動も最終局面にあるものの、まだ上昇トレンドは継続中です。 もし、目先深押しするようなことがあれば、下げの2波動を待って再度出動しても良いということになります。 反対に、このまま押しては反転高値更新、押しては反転高値更新となる動きもありますので、毎日のトレンドを見ていくこともお忘れなく。 誰でも簡単に『買いポイント、売りポイント』が判断できる 投資法があったらいいと思いませんか? ↓↓ ■超短期投資分析表作成マニュアル
https://w.atwiki.jp/info_fukushima/pages/92.html
デマ・誤解:横浜でのストロンチウム検出は、過去の「核実験由来」のもの 2014-04-07 「ストロンチウム」タグが付いている記事 核実験によるフォールアウト(セシウム・ストロンチウム) 放射性物質の一覧 放射性ストロンチウムとプルトニウムの沈着量(環境中の量) 放射性ストロンチウムとプルトニウムの放出量 放射性ストロンチウムとプルトニウムの摂取量 プルトニウム・ストロンチウムの検査 デマ・誤解:横浜でのストロンチウム検出は、過去の「核実験由来」のもの +「プルトニウム」タグが付いている記事 「プルトニウム」タグが付いている記事 核実験によるフォールアウト(セシウム・ストロンチウム) 放射性物質の一覧 放射性ストロンチウムとプルトニウムの沈着量(環境中の量) 放射性ストロンチウムとプルトニウムの放出量 放射性ストロンチウムとプルトニウムの摂取量 プルトニウム・ストロンチウムの検査 横浜市内のストロンチウムは「核実験由来」のもの 横浜市内で放射性物質のストロンチウムが、過去の「核実験由来」のものであることがわかった。 2011.11.28 横浜のストロンチウム、核実験で降下…文科省(読売新聞 - 11月24日) http //www.yomiuri.co.jp/science/news/20111124-OYT1T01062.htm 横浜市内で放射性物質のストロンチウムが、市の調査で検出された問題で、詳細な分析を実施した文部科学省は24日、半減期が約50日と短いストロンチウム89が検出されなかったことから、東京電力福島第一原子力発電所事故に伴って新たに沈着したものではないとする結果を発表した。 同省では、市が採取した堆積物など4か所のサンプルの核種分析を実施。その結果、いずれもストロンチウム89は不検出で、2か所で半減期が約29年と長いストロンチウム90が微量検出された。福島第一原発事故由来ではなく、過去の大気圏核実験によって降下したものと考えられるという。 市内の2か所から1キロ・グラム当たり59~129ベクレルのストロンチウムが検出されたとする市の発表について、同省は「ストロンチウム以外の天然核種を足し合わせて測定している可能性がある」と指摘している。 上記記事についての解説的なブログエントリー 「アカチバラチの日記」では、当初より横浜でのストロンチウム検出を原発由来と決め付けるのはおかしいと指摘されていました。くわしくはブログを御覧ください。このブログはオススメです。(管理者) だから、こういう分析で原発由来と言うのは時期尚早 上記ブログエントリーより引用 さて、横浜のストロンチウムについて、あのような調べ方では原発由来と言えないことは、以前に書いたとおり。 現段階で原発由来と言うのは時期尚早 http //d.hatena.ne.jp/akatibarati/20111012/1318437469 何の意味も無い検査 http //d.hatena.ne.jp/akatibarati/20111014/1318609260
https://w.atwiki.jp/jimijimi_gabriel/pages/156.html
2006年10月9日は北朝鮮初の地下核実験の日だったんです。 2007/4/15(日) 午後 7 03 コメントへの返信です。 〉「聡子、お願いだから病院行こう」「うるせえな!はーなーせーよー!!」なんて会話がかつて家庭の中であったに違いない。 いや、ないですねえ。 そうですよね、普通なら力ずくで家族が病院に 連れていくはずですよね(笑) さて、偶然も続くと必然、ということでw もういっちょ駄目押し。 2006年10月9日は、北朝鮮初の地下核実験の日だったんです。 悪魔滝沢秀明君からの私への、嫌味ったらしいバースデープレゼントだったんですねえ。
https://w.atwiki.jp/wolfpedia/pages/663.html
主に島根県益田市美都町山本地区を中心に活動するバンド。 リーダーは磯巾着頭マサ。 ボーカルはパイナップル頭のチヨ。 益田川で練習する姿がよく目撃される。 姉妹バンドは胴体着陸死すた~ず。 第12回美都カラオケ大会でデビューするも、その過激さ故に 永久追放される。
https://w.atwiki.jp/p051284s/pages/13.html
北朝鮮の核実験による大幅安が懸念された東京市場でしたが、前夜のシカゴ日経先物が安かったのを受けて一時100円以上売り込まれた場面もありました。 しかし、ニューヨーク市場が堅調な流れだったことと、円安を好感した資金が買いに回り国際優良株中心に物色したことで、日経平均は反転180円を超える上げとなりましたが、午後に発表された8月の機械受注が市場コンセンサスを大きく下回ったことをきっかけに、反転大きく売り込まれ、結局41円高でひけました。 好材料と悪材料が交差する中、市場は乱高下しましたが、突発的な材料が示現した時には、多くの場合相場は乱高下しボラティリティーが大きくなります。 このことは、昨日のブログで示唆しておきましたが、一日の動きが、おおきな幅になりますので利益をだしにくくなります。 このような相場つきでは、無理に勝負に出ることは危険です。できれば、ある程度株価に材料が織り込まれ、体勢の方向が決定してから出動することが賢明です。 もし、どうしても売買したいのであれば、デイトレ感覚で勝負ができる時(ザラバ中でも相場を監視できる時間が有る時)ですが、それでもこのような乱高下をする相場では、精神的に揺さぶられるため勝てる確率は低くなります。 今後の対応は、昨日言及しましたように、安全保障を念頭に入れながら米中間選挙の動向を念頭に入れ、大きな流れを意識した投資を心がけることが求められそうです。 ここからが、貴方の手腕が試される時です。 売買タイミングを把握したい人はいませんか? 買い、売りのポイントが判断できれば稼げます! ↓↓ ■超短期投資分析表作成マニュアル? デイトレで勝つのは難しいのでしょうか? その答えはここにあります。 ↓↓ ■デイトレ分析表作成マニュアル